田中 頼璋 【春秋山水(双幅)】 掛軸 - Tanaka Raisho, Japanese hanging scroll (kakejiku)
商品番号:3935

春秋山水(双幅)

田中 頼璋作
売却済み

作品概要

略歴
田中 頼璋 - たなか らいしょう (1866~1940)

慶応2年(1866)、石見国邑智郡市木村(現・島根県邑智郡邑南町)に生まれる。名は大治郎。初号は豊文、別号は頼章。父は庄屋をつとめる田中助左衛門で、その二男。
17歳の時に画家を志して萩に出て、森寛斎に師事し豊文と号した。その後広島で軍務につく。明治35年(1902)上京して同流派の川端玉章に入門し、頼章と号して写生風の山水画を描いた。明治36年(1903)日本美術協会展に《楼閣山水》を出して三等賞銅牌となり、明治37年(1904)の《山居水住》で銀牌を受けて出世作となった。その後も日本美術協会展で受賞を続ける一方、巽画会審査員・日本画会評議員をつとめ、川端画学校の教授となった。明治40年(1907)東京勧業博覧会に《群猿》で三等賞牌を受賞。明治41年(1908)第2回文展に《鳴滝》で初入選して三等賞となり、以後も文展で入賞を重ねた。大正4年(1915)《四季の山》で二等賞、大正5年(1916)・大正6年(1917)には《山月四趣》《桂瀑四致》で続けて特選となり、文展旧派の実力者として活躍した。大正4年(1915)号を「頼璋」に改める。帝展においては、大正8年(1919)推薦、大正13年(1924)委員となり、第5回帝展の審査員をつとめた。昭和元年(1926)の第1回聖徳太子奉讃美術展にも入選した。また、邸内に天然画塾を開くなど、後進の指導にも当たった。関東大震災以後は広島に居を移し、悠々自適の生活を送る。中国画を学び、写生味の強い山水画を得意とした。
昭和15年(1940)2月16日、広島市の自宅で没。享年75歳。

本紙
絹本(尺五立)双幅
サイズ
【本紙】幅41×高さ134.5cm
【総丈】幅56.5×高さ209cm ×2幅
箱
共箱・タトウ箱付
備考
●春掛け・秋掛けとしてお楽しみ頂けます。
●一幅ずつ季節に合わせてお楽しみください。
状態
●春掛け・秋掛け共に本紙にヤケと上部に点染み等ありますが、鑑賞には気にならない程度です。

詳細写真

Detail


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●●●●●●春秋山水(双幅)●●●●●●

左側:【秋景山水】●●●●右側:【春景山水】

●春掛け・秋掛け共に本紙にヤケと上部に点染み等ありますが
鑑賞には気にならない程度です。

●●●●●●左側:【秋景山水】●●●●●●
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●絹本(尺五立)双幅の内の左側【秋景山水】(10月~12月)

総丈:【幅56.5×高さ209cm】

本紙にヤケ上部に点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。

表装は両方の柱に折れ・波打ち等ありますが鑑賞には気にならない程度です。




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●本紙上部にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。






●●●●●●右側【春景山水】●●●●●●
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●絹本(尺五立)双幅の内の右側【春景山水】(1月~4月)

総丈:【幅56.5×高さ209cm】

本紙にヤケ上部に点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。

表装は両方の柱に折れ・波打ち等ありますが鑑賞には気にならない程度です。


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●本紙上部にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。

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●本紙上部にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。

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●本紙上部にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。





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●共箱・タトウ箱付

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●【箱の表面】画題:自画春秋山水図

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●【箱の裏面】落款サイン:頼璋泰印

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