白鶴(西村 五雲 作)
↑
●紙本(小幅横)ミニ掛軸
総丈:【幅48×高さ112cm】
●正月・長寿・慶事掛けとしておめでたい席にふさわしい掛軸です。
↑
●本紙に補修跡ありますが鑑賞には殆ど気にならない程度です。
●元裂地を使って新たに仕立直しましたので状態は良好です。
(手打ち表装)綺麗です。
●表装は画格に釣り合った上質な裂地が使われております。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●本紙に補修跡ありますが鑑賞には殆ど気にならない程度です。
●元裂地を使って新たに仕立直しましたので良好です。
(手打ち表装)
●表装は画格に釣り合った上質な裂地が使われております。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●本紙に補修跡ありますが鑑賞には殆ど気にならない程度です。
●元裂地を使って新たに仕立直しましたので良好です。
(手打ち表装)
●表装は画格に釣り合った上質な裂地が使われております。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●本紙に補修ありますが鑑賞には殆ど分かりません。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●本紙に補修跡ありますが鑑賞には殆ど気にならない程度です。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●破れの補修跡等ありますが鑑賞には気にならない程度です。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●長寿を象徴する鶴に本来なら合わせて旭日が描かれるところを
金泥引きでほのめかすだけにとどめ、品よくまとめてあります。
●本紙に補修跡ありますが鑑賞には殆ど気にならない程度です。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●【箱の表面】画題:白鶴:箱書
(西村五雲先生の高弟山口華楊先生箱書鑑定付)文化勲章受章作家
↑
●【箱の表面】落款サイン:先師西村五雲之作 華楊米題印
(西村五雲先生の高弟山口華楊先生箱書鑑定付)文化勲章受章作家
↑
●【鑑定箱・二重箱】
(西村五雲先生の高弟山口華楊先生箱書鑑定付)文化勲章受章作家
●山口 華楊やまぐち かよう (1899-1984)
明治32年10月京都市に生まれる。本名米次郎。兄は日本画家山口玲凞。
45年西村五雲に師事、
大正5年師の勧めで京都市立絵画専門学校別科に入学、
8年卒業研究科に進級10年修了する。
在学中の5年第10回文展に「日午」で初入選、7年にも入選。
8年、師の勧めで竹内栖鳳の竹杖会に参加する。
帝展に大正9年第2回から連続入選、
昭和2年第8回帝展に「鹿」、3年9回展に「猿」で連続して特選、
4年帝展推薦となり以後帝展に出品を続ける。
11年画壇の革新を目指す中堅日本画家による水明会の結成に参加、
13年五雲の死去で晨鳥社は解散するが、新晨鳥社を結成する。
11年絵画専門学校助教授のち教授となり24年まで後進の指導に当たる。
また、九名会、春虹会の発足に参加する。戦後は21年秋の第2回日展から審査員をつとめ、出品を続ける。
24年日展運営会参事、25年参与、33年評議員、44年理事、47年常務理事、50年顧問となる。
31年日本芸術院賞、46年日本芸術院会員、56年文化勲章を受章する。
四条派の伝統をふまえ、特に動物画の第一人者として活躍した。
昭和59年3月16日京都市で没。享年84才。
↑
●紙本(小幅横)ミニ掛軸
総丈:【幅48×高さ112cm】
●正月・長寿・慶事掛けとしておめでたい席にふさわしい掛軸です。
↑
●本紙に補修跡ありますが鑑賞には殆ど気にならない程度です。
●元裂地を使って新たに仕立直しましたので状態は良好です。
(手打ち表装)綺麗です。
●表装は画格に釣り合った上質な裂地が使われております。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●本紙に補修跡ありますが鑑賞には殆ど気にならない程度です。
●元裂地を使って新たに仕立直しましたので良好です。
(手打ち表装)
●表装は画格に釣り合った上質な裂地が使われております。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●本紙に補修跡ありますが鑑賞には殆ど気にならない程度です。
●元裂地を使って新たに仕立直しましたので良好です。
(手打ち表装)
●表装は画格に釣り合った上質な裂地が使われております。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●本紙に補修ありますが鑑賞には殆ど分かりません。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●本紙に補修跡ありますが鑑賞には殆ど気にならない程度です。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●破れの補修跡等ありますが鑑賞には気にならない程度です。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●長寿を象徴する鶴に本来なら合わせて旭日が描かれるところを
金泥引きでほのめかすだけにとどめ、品よくまとめてあります。
●本紙に補修跡ありますが鑑賞には殆ど気にならない程度です。
●一間床・玄関・リビングの略式床・置き床等に最適です。
↑
●【箱の表面】画題:白鶴:箱書
(西村五雲先生の高弟山口華楊先生箱書鑑定付)文化勲章受章作家
↑
●【箱の表面】落款サイン:先師西村五雲之作 華楊米題印
(西村五雲先生の高弟山口華楊先生箱書鑑定付)文化勲章受章作家
↑
●【鑑定箱・二重箱】
(西村五雲先生の高弟山口華楊先生箱書鑑定付)文化勲章受章作家
●山口 華楊やまぐち かよう (1899-1984)
明治32年10月京都市に生まれる。本名米次郎。兄は日本画家山口玲凞。
45年西村五雲に師事、
大正5年師の勧めで京都市立絵画専門学校別科に入学、
8年卒業研究科に進級10年修了する。
在学中の5年第10回文展に「日午」で初入選、7年にも入選。
8年、師の勧めで竹内栖鳳の竹杖会に参加する。
帝展に大正9年第2回から連続入選、
昭和2年第8回帝展に「鹿」、3年9回展に「猿」で連続して特選、
4年帝展推薦となり以後帝展に出品を続ける。
11年画壇の革新を目指す中堅日本画家による水明会の結成に参加、
13年五雲の死去で晨鳥社は解散するが、新晨鳥社を結成する。
11年絵画専門学校助教授のち教授となり24年まで後進の指導に当たる。
また、九名会、春虹会の発足に参加する。戦後は21年秋の第2回日展から審査員をつとめ、出品を続ける。
24年日展運営会参事、25年参与、33年評議員、44年理事、47年常務理事、50年顧問となる。
31年日本芸術院賞、46年日本芸術院会員、56年文化勲章を受章する。
四条派の伝統をふまえ、特に動物画の第一人者として活躍した。
昭和59年3月16日京都市で没。享年84才。