水墨清渓高栖図(田能村 直入 作)
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|←----軸先除く) 掛軸幅 66cm ----→|
絖本(尺八立)総丈:幅66×高さ204cm
※この掛軸のサイズは一間床に最適です。
絖本(こうほん)とは書画用の絖(ぬめ)(=絹布の一種)
また、絖を画布とした書画。
絖本は筆の滑りが良い為、画賛をよくする南画家・書家等が良く好んだ。
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表装は画格に釣り合った上質な裂地が使われております。
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本紙上部に経年感のヤケ・薄染み・軽い折れ等ありますが鑑賞には
気にならない程度です。
経年の割には良好の方です。
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本紙上部に経年感のヤケ・薄染み・軽い折れ等ありますが鑑賞には
気にならない程度です。
経年の割には良好の方です。
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本紙上部に経年感のヤケ・薄染み・軽い折れ等ありますが鑑賞には
気にならない程度です。
経年の割には良好の方です。
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本紙上部に経年感のヤケ・薄染み・軽い折れ等ありますが鑑賞には
気にならない程度です。
経年の割には良好の方です。
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本紙上部に経年感のヤケ・薄染み・軽い折れ等ありますが鑑賞には
気にならない程度です。
経年の割には良好の方です。
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表装裏面上部の上巻(巻絹)にヤケ・しわ等ありますが鑑賞には
問題無い箇所です。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
画題:水墨清渓高栖図
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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|←----軸先除く) 掛軸幅 66cm ----→|
絖本(尺八立)総丈:幅66×高さ204cm
※この掛軸のサイズは一間床に最適です。
絖本(こうほん)とは書画用の絖(ぬめ)(=絹布の一種)
また、絖を画布とした書画。
絖本は筆の滑りが良い為、画賛をよくする南画家・書家等が良く好んだ。
↑
表装は画格に釣り合った上質な裂地が使われております。
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本紙上部に経年感のヤケ・薄染み・軽い折れ等ありますが鑑賞には
気にならない程度です。
経年の割には良好の方です。
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本紙上部に経年感のヤケ・薄染み・軽い折れ等ありますが鑑賞には
気にならない程度です。
経年の割には良好の方です。
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本紙上部に経年感のヤケ・薄染み・軽い折れ等ありますが鑑賞には
気にならない程度です。
経年の割には良好の方です。
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本紙上部に経年感のヤケ・薄染み・軽い折れ等ありますが鑑賞には
気にならない程度です。
経年の割には良好の方です。
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本紙上部に経年感のヤケ・薄染み・軽い折れ等ありますが鑑賞には
気にならない程度です。
経年の割には良好の方です。
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表装裏面上部の上巻(巻絹)にヤケ・しわ等ありますが鑑賞には
問題無い箇所です。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
画題:水墨清渓高栖図
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。
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鑑定箱・【曽孫の田能村直外:鑑定箱書き】
鑑定人は【曽孫:田能村直外先生】南画家
田能村直外 たのむらちょくがい(1903-1997)
明治36年田能村直入90才の時京都に生まれる。父は直入の孫小篁。
直外は直入の曾孫にあたる。幼名傳太、初号麦友。
4才の時曾祖父直入死亡、6才の時祖父小斎死亡、
7才で父小篁と死別する。南画は直入の門弟、田中柏陰に、
書を山本竟山に学ぶ。京都市文人連盟参与。元京都書画院理事長、
京都日本画家協会会員、日本南画院準同人。日本南画院賞・会長賞
特選等多数の受賞歴をもつ。父亡き後、画神堂を維持する。
また、田能村直入の所定鑑定人としても知られている。
平成9年1月21日急性心不全のため没。享年94才。