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淡彩山水 (双幅)(堀江 友聲 作)

商品番号2379
価格

売却済

商品名淡彩山水 (双幅)
作者堀江 友聲
略歴堀江友聲(1802-1873)明治6年没72才。
本姓森山氏、通称善三郎後に善之丞と改める。字は斧巌、名は精一、初名豊信という。雲峰・盛伯・遷喬・豈楽等の数号あり。祖の堀江五右衛門は松江藩士であったが、故あって謹責を蒙り、大原郡大東町に隠棲し、義子祐兵衛は商家となり母方の森山姓を名乗る。友声はその次子である。享和二年(1802年)に生まれ、文化12年14才の時画門に入り、竹内衝山に師事し雲峰の号をもらう。16才の時京都に上り初め山本探渕につき盛伯の号を受け、宋・元・明及び京の諸大家の画法を学んだ。22歳の時諸国を遊歴すること数年、特に毛利萩藩侯の寵を受け、多くの大作を残した。天保元年(1830年)29才の時再び京に入り、海北友徳のかねてからの懇望によりその養子となり海北斎宮介精一と称し、友声斧巌と号した。後故あって離縁し、郷里へ帰り堀江家を継いだ。再び諸国を遊歴すること十年、丹後宮津藩の藩士に乞われたが、故郷の両親尚在るをもって、丹後宮津藩を辞し、帰郷した。嘉永4年雲州広瀬藩の藩士として召し抱えられ御用絵師となる。明治6年9月15日、広瀬町で72才で没したが、その間五十余人の弟子を育てた。
本紙紙本(尺七立)双幅
寸法本紙:幅49×高さ111cm
総丈:幅62×高さ189cm×2幅
軸先象牙
合せ箱
備考箱の裏面に澤田旧蔵品の箱書きあります。
友聲は文化十二年十四才の時松江の竹山凰京衡山の画門に入り京都に出て山本探渕の門に学んだ、文政二年以来專ら宋元明の諸名家および【柴田義渕】の筆意を慕い「画者有法可也、無法亦可也」との旨を体得す、この画は安政年鑑の作
澤田旧蔵品 箱書きに【柴田義渕】とありますが柴田義董の間違いです。
状態掛軸は新たに仕立直しましたので本紙・表装共に良好です。(手打ち表装)





  • 淡彩山水【双幅】

  • ∞∞∞∞∞∞∞◆【家山水】■(右側)―◆∞∞∞∞∞∞∞



    掛軸は新たに仕立直しましたので本紙・表装共に良好です。(手打ち表装)




  • 表装の状態は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。

  • ∞∞∞∞∞∞∞◆【家山水】■(左側)―◆∞∞∞∞∞∞∞



    掛軸は新たに仕立直しましたので本紙・表装共に良好です。(手打ち表装)




  • 表装の状態は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 本紙は良好です。




  • 合せ箱
    淡彩山水 友聲筆




  • 箱の表面
    淡彩山水・双幅 友聲筆




  • 箱の裏面に澤田旧蔵品の箱書きあります。
    友聲は文化十二年十四才の時松江の竹山凰京衡山の画門に入り京都に出て
    山本探渕の門に学んだ、文政二年以来專ら宋元明の諸名家および【柴田義渕】
    の筆意を慕い「画者有法可也、無法亦可也」との旨を体得す。
    この画は安政年鑑の作。
    澤田旧蔵品 箱書きに【柴田義渕】とありますが柴田義董の間違いです。






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淡彩山水 (双幅)
堀江 友聲
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