木島 桜谷 - このしま おうこく (1877~1938)
明治10年京都市中京区三条室町に生まれる。本名文治郎。字は文質。京都市立商業学校を中退し、19才の時に今尾景年の塾に入門、同時に山本谿愚について漢詩を学んだ。京都美術協会展、新古美術品展などで活躍し、明治40年第1回文展に「しぐれ」で2等賞をしたのをはじめ、第6回展まで連続入賞し、大正2年第7回展には景年にかわって審査員をつとめた。
大正元年京都市立美術工芸学校教諭、大正4年京都市立絵画専門学校教授となった。円山・四条風の様式のうえに自己の工夫を加えて、平明で親しみのある画風をつくり、菊池契月とならんで文展が生んだ最初の花形作家といわれたが、晩年は詩書に親しんで世間から遠ざかった。昭和3年11月3日京阪電車に触れて不慮の事故死をした。昭和3年11月没。享年61才。
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