略歴
内山 秀圃(うちやま しゅうほ)1876~1963
名は留吉。横浜の人。1876(明治9)年4月9日生まれ。内藤適圃、容斎派中島亨斎、永海派田村永翠ろに師事した。日本絵画協会に入会、東京・横浜など各地の美術展覧会に入選ししばしば優賞を受ける。1905(明治38)年、全国を漫遊し、実景の写生に努め研鑽し、1907(明治40)年以降、鳴門へも度々来遊した。青年時代より能楽を趣味とし、各流派の能演を観て能姿の写生に努めた。1961(大正5)年、広島市平塚町に移り住む。1926(大正15)年、京都市丸太町に移転し、能楽画家として活躍した。1939(昭和14)年、大阪市郊外に移転し、1944(昭和19)年、妻の郷里鳴門市撫養町に疎開した。1950(昭和25)年、天皇陛下の徳島県下御巡幸の際、教育文化展に選ばれ、「能楽菊慈童」を出品した。画の他、謡曲・仕舞・茶道・生花などの趣味もあった。1952(昭和27)年2月、篠原彌治兵衛(第12世)・山本凌雪ら発起人により「秀圃福寿画会」が結成された。1963(昭和38)年11月11日没。87歳。(参考文献:阿波の画人)