略歴
永田 春水 ながた しゅんすい (1889-1970)
明治22年2月茨城県北相馬郡に生まれる。本名良亮。初め築畝と号す。 40年上京し荒木寛畝に入門、41年東京美術学校日本画科に入学、荒木十畝にも指導を受け、大正2年卒業する。国華社に入社「国華」の編集に携わり、5年第10回文展に「露のひぬま」で初入選、以後文展・帝展に入選を重ねる。9年渡英、一年間ロンドンに滞在して大英博物館で敦惶仏画の模写に従事、ヨーロッパ、朝鮮各地を巡り帰国。12年十畝、小室翆雲とともに中国を旅行する。昭和4年第10回帝展に「薫苑麗日」5年第11回展「雪はれ」が連続して特選となる。6年帝展推薦、11年文展委員、13年日本画院結成に同人として参加、新文展にも無鑑査出品を重ね、15年から東京女子高等師範学校講師をつとめる。戦災後郷里勝代に疎開、21年第1回日展から出品を重ね、茨城県美術の再興に尽力、29年東京に戻り、如春会を主宰、正統派の花鳥画を継承する。昭和45年5月1日東京港区の病院で没。享年81才。