橋本 雅邦

はしもと がほう (1835~1908)

天保6年7月江戸木挽町に生まれる。幼名千太郎。のち長卿。父は浜田藩主(のち川越藩主)松平周防守の御用絵師で狩野派の画家橋本晴園。父に手ほどきを受け、狩野雅信に師事、狩野芳崖も同日入門する。22才頃塾頭となり、芳崖、狩野勝玉、木村立獄とともに雅信門下の四天王と称される。26才で独立するが幕末混乱期絵の注文も減り、扇面画などの内職で家族を養う。維新後録を失い、海軍省で地図描きをするかたわら芳崖とともに研鑽を積み、絵画共進会などで賞を取る。やがてフエノロサや岡倉天心に認められ、各展で受賞、絵事に専念、22年開校した東京美術学校教諭(のち教授)となる。23年臺会内国勧業博覧会で審査員として「白雲紅樹」(重文)を出品妙技一等賞を受賞。同年帝室技芸員となり、以後明治日本画壇の中心にあって近代日本を代表する画家として活躍、大観・春草・観山・玉堂ら錚々たる画家を輩出する。31年東京美術学校校長を辞職させられた天心に殉じて同校を連袂辞職、日本美術院の創立に参加、主幹となる。33年パリ万博に「竜虎図」で銀賞、37年セントルイス万博に「林澗残照」などで再興名誉賞を受賞する。明治41年1月13日東京本郷で没。享年72才。

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