懸崖飛泉
商品番号:2743

懸崖飛泉

田中 頼璋
売却済み

作品概要

略歴
田中 頼璋 - たなか らいしょう (1866~1940)
本名大治郎、慶応2年、島根県邑智郡市木村(現瑞穂町)の庄屋をつとめる田中助左衛門の二男に生まれる。17歳の時に画家を志して、萩の森寛斎に師事し豊文と号した。その後広島で軍務につく。明治35年上京して同流派の川端玉章に入門し、頼章と号し、写生風の山水画を描いた。明治36年、日本美術協会展で三等賞銅牌となり、その後日本美術協会展で受賞を続ける一方、巽画会審査員・日本画会評議員をつとめ、川端画学校の教授となった。文展で入賞、特選を重ね、文展旧派の実力者として活躍した。大正4年に号を「頼璋」に改号。帝展においては、大正8年推薦、同13年委員となった。また、邸内に天然画塾を開くなど、後進の指導にも当たった。関東大震災以後は広島に居を移し、悠々自適の生活を送る。中国画を学び、写生味の強い山水画を得意とした。昭和15年死去。享年75才。
【鑑定人は同門の益田玉城】
益田玉城 - ますだぎょくじょう(1881~1955)
明治14年1月宮崎県都城に生まれる。本名珠城。長久堂と号す。初め郷里の画家亦池南鳳の指導を受け、32年頃同郷の山内多門と上京。川端玉章に入門、内弟子となる。33年東京美術学校日本画科選科に入学、37年卒業する。日本絵画協会の美術院との連合絵画共進会や巽画会展などに入選を重ね、川端画学校教授となり、また東京女子美術専門学校講師もつとめる。大正4年第9回文展に「かのこ屋の娘」で初入選、褒状を受け、文展に5,6年,帝展に9,10年と入選する。この間川端画学校を辞して自宅で私塾を開設、7年朝鮮半島を一周、9年東京雑司ヶ谷に転居終生の住居となる。11年多聞と中国旅行をする。 昭和2年から帝展に毎回入選、6年帝展推薦となり、10年改組日展では第一部会の実行委員として参加、11年文展招待出品13年無鑑査。15年従軍画家として中国に赴き、個展を上野松坂屋で開催。たえず写生を試みるとともに、美人画家として多彩な女性像を描き続けた。昭和30年4月22日没。享年74才。
本紙
絹本(尺五横)
サイズ
【本紙】幅42×高さ36cm
【総丈】幅55×高さ126cm
軸先
塗物
鑑定箱・二重箱【鑑定は同門の益田玉城】
備考
春掛け・夏掛けとしてお楽しみ頂けます。(5月~10月)
状態
本紙にヤケ・薄い点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。
掛軸の状態は概ね良好です。

詳細写真

Detail



|←—————(軸先除く) 軸幅55cm —————–→|

絹本(尺五横)総丈:【幅55×高さ126cm】

本紙にヤケ・薄い点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。

掛軸の状態は概ね良好です。

春掛け・夏掛けとしてお楽しみ頂けます。
(5月~10月)

この作品の掛け方は、自在掛けを使って床の中央まで下げてお掛けください。
手前の置物等はバランスをとって頂くと良いです。

※【掛軸用の自在掛けは最寄りのホームセンター等で販売されてます】



掛軸の状態は概ね良好です。


本紙にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。


本紙にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。


本紙にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。



表装裏面上部の上巻(巻絹)に点染み・汚れ等ありますが鑑賞には問題無い箇所です。


鑑定箱・二重箱【鑑定は同門の益田玉城】


【箱の表面】


【箱の裏面】


【箱の裏面】昭和二十三年夏日 同門 玉城鑑 印


【二重箱】

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