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春挙先生51~58歳頃の作
春挙先生51~58歳頃の作
この【秋の深山図】は斜面を深秋の黄土色とし、美しい紅葉を配しています。
また遠山によって遠近感をとり雪を砂子のように胡粉(白絵具)を散らして
表しています。この様な作風が近代感覚であり純化され色彩感をもって
描かれております。春挙先生が実践した近代絵画の世界をご堪能頂ければ幸いです。


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春挙先生51歳頃の作
春挙先生51歳頃の作
この【秋の深山図】は斜面を深秋の黄土色とし、美しい紅葉を配しています。
また遠山によって遠近感をとり雪を砂子のように胡粉(白絵具)を散らして
表しています。この様な作風が近代感覚であり純化され色彩感をもって
描かれております。
春挙先生が実践した近代絵画の世界をご堪能頂ければ幸いです。


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春挙先生51歳頃の作。「(中年期)
春挙先生51歳頃の作。「(中年期)

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白い点は雪を描いたものです。
白い点は雪を描いたものです。

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白い点は雪を描いたものです。
白い点は雪を描いたものです。

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雪を砂子のように胡粉(白絵具)を散らして表しています。
雪を砂子のように胡粉(白絵具)を散らして表しています。

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雪を砂子のように胡粉(白絵具)を散らして表しています。
雪を砂子のように胡粉(白絵具)を散らして表しています。

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印譜は、櫨華浅水荘(ろかせんすいそう)と篆刻されています。
櫨華浅水荘とは、春挙先生の大津市膳所の別荘のことで、
その別荘で描かれたものです。別荘を建てられたのが大正6年46歳の時で、
その後大正11年51歳でパリ日仏交換展に「秋山図」を出品されていますので、
その後の51歳~58歳頃の作と思われます。
印譜は、櫨華浅水荘(ろかせんすいそう)と篆刻されています。
櫨華浅水荘とは、春挙先生の大津市膳所の別荘のことで、
その別荘で描かれたものです。別荘を建てられたのが大正6年46歳の時で、
その後大正11年51歳でパリ日仏交換展に「秋山図」を出品されていますので、
その後の51歳~58歳頃の作と思われます。



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箱の表面
箱の表面
春挙先生の中年・晩年作の場合箱書きは、ほとんどが表面です。

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二重箱
二重箱