明治16年に島根県楯縫郡平田町(現・出雲市平田町袋町)の荒物商・小村豊兵衛の長男として生まれる。名は権三郎、字を厳坐・子荘。初号は豊花、後に豊文・大雲・碧雲湖畔人・赤松子などと称した。
幼少より画技に秀で、16歳の時に家出をして橋本雅邦の門を叩いたが親の承諾がないため断られ、やむなく帰郷。
18歳の時に鰐淵寺住職の世話で京都へ行き、森川曾文の門に入った。画号を豊文と改め、19歳で橋本菱華の門に移り、第7回古美術展覧会に《さかがみ》を初出品。絵画共進会にも《雲風》を出品して二等賞を得た。この頃に号を「大雲」と改める。翌年に都路華香の門に入った。
22歳で山元春挙の門に入り、数々の展覧会で入賞、第8回~11回文展で連続入選し、大正5年・6年の文展で連続特選をとり、37歳で永久無鑑査となった。
以後晩年まで帝展審査員をつとめた。春挙門下の四天王の一人に揚げられ、山水、人物、動物画など画技は広いが、特に武者絵に定評があり、自ら甲冑を制作し、また収集もした。
たまたま平田に帰り、大雲山荘で揮毫中病を得て2日後の昭和13年2月20日急逝した。享年56歳。
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