白鷺・雪中紅梅
商品番号:4360

白鷺・雪中紅梅

西山 翠嶂
売却済み

作品概要

略歴
西山 翠嶂 - にしやま すいしょう (1879~1958)
明治12年京都市に生まれる。本名卯三郎。明治25年竹内栖鳳(当時棲鳳)に師事、西村五雲・橋本関雪・とならび称された秀才で、のち栖鳳の女婿となった。明治40年第1回文展で「広寒宮」が3等賞を受賞して以来連年入賞し、大正15年から3年連続して特選となった。この間大正8年には京都市立絵画専門学校教授となった。昭和4年帝国美術院会員、昭和12年帝国芸術院会員、昭和19年帝室技芸員となり、昭和32年文化勲章を受章した。また、昭和8年から11年まで京都市立絵画専門学校、同美術工芸学校の校長をつとめた。大正10年に画塾青甲社を創立し、堂本印象・上村松篁・三谷十糸子らの子弟を育成し、栖鳳亡きあとの京都画壇の長老的指導者であった。昭和33年3月20日京都市東山区の自宅で死去。享年79才。
本紙
絹本(尺五立)双幅
サイズ
【本紙】幅41×高さ126cm×2幅
【総丈】幅54.5×高さ208cm×2幅
軸先
象牙
共箱・二重箱
備考
●雪中紅梅・白鷺(双幅)を一間床へ二幅並べて飾られます。

●冬掛け(1月~3月)としてお楽しみ頂けます。

●翠嶂先生は竹内栖鳳に師事して四條派を修め、京都市立美術工芸学校(京都市立芸術大学の前身)を卒業後は明治35年から母校で教鞭をとりました。明治40年に文展(日展の前身、文部省文化展覧会)が始まると第1回展で三等賞を受賞し、大正5年からは3回連続して特選を受けるなど、画壇の中心的存在として活躍します。
また、8年には審査員を務め、昭和になると帝国芸術院会員や帝室技芸院に選出される一方、母校の美術工芸学校の校長にも就任します。10年に設立した画塾「青甲社」からは堂本印象、中村大三郎、上村松篁ら、次代を担う俊英をキラ星のごとく輩出するなど、教育者としての能力にも傑出したものがありました。栖鳳ゆずりの軽妙洒脱な洗練された作風が特徴で、師の没後は京都画壇の重鎮として活躍し、32年には文化勲章を受章しています。

文化勲章受章作家の作品をご堪能頂けましたら幸いです。
状態
●表装は元裂地を使って仕立直しましたので状態は良好です。(手打表装)美品。

●文化勲章受章作家にふさわしい上質な金襴裂地が使われた仕立になっております。

詳細写真

Detail

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●●画題:双幅【雪中紅梅・白鷺】●●



●●●雪中紅梅・白鷺(双幅)●●●

●左側:【雪中紅梅】●右側:【白鷺】

●掛軸は元裂地を使って仕立直しましたので状態は良好です。
(美品)綺麗です。(京表具の手打ち表装)

●翠嶂先生は竹内栖鳳に師事して四條派を修め、
京都市立美術工芸学校(京都市立芸術大学の前身)を
卒業後は明治35年から母校で教鞭をとりました。
明治40年に文展(日展の前身、文部省文化展覧会)が始まると
第1回展で三等賞を受賞し、大正5年からは3回連続して特選を受けるなど、
画壇の中心的存在として活躍します。
また、8年には審査員を務め、昭和になると帝国芸術院会員や帝室技芸院に
選出される一方、母校の美術工芸学校の校長にも就任します。
10年に設立した画塾「青甲社」からは堂本印象、中村大三郎、上村松篁ら、
次代を担う俊英をキラ星のごとく輩出するなど、
教育者としての能力にも傑出したものがありました。
栖鳳ゆずりの軽妙洒脱な洗練された作風が特徴で、
師の没後は京都画壇の重鎮として活躍し、
32年には文化勲章を受章しています。

文化勲章受章作家の作品をご堪能頂けましたら幸いです。

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●雪中紅梅・白鷺(双幅)を一間床へ二幅並べて飾られます

●双幅の内【白鷺図】●絹本(尺五立)



●絹本(尺五立)画題:雪中白鷺(右側)

●総丈:【幅54.5×高さ208cm】

●雪中紅梅・白鷺(双幅)を一間床へ二幅並べて飾られます。

●一間床へ白鷺を一幅掛けとしてもお楽しみ頂けます。

●冬掛けとしておすすめです。(1月~3月)

●翠嶂先生は竹内栖鳳に師事して四條派を修め、
京都市立美術工芸学校(京都市立芸術大学の前身)を
卒業後は明治35年から母校で教鞭をとりました。
明治40年に文展(日展の前身、文部省文化展覧会)が始まると
第1回展で三等賞を受賞し、大正5年からは3回連続して特選を受けるなど、
画壇の中心的存在として活躍します。
また、8年には審査員を務め、昭和になると帝国芸術院会員や帝室技芸院に
選出される一方、母校の美術工芸学校の校長にも就任します。
10年に設立した画塾「青甲社」からは堂本印象、中村大三郎、上村松篁ら、
次代を担う俊英をキラ星のごとく輩出するなど、
教育者としての能力にも傑出したものがありました。
栖鳳ゆずりの軽妙洒脱な洗練された作風が特徴で、
師の没後は京都画壇の重鎮として活躍し、
32年には文化勲章を受章しています。

文化勲章受章作家の作品をご堪能頂けましたら幸いです。


●掛軸は元裂地を使って仕立直しましたので状態は良好です。
(美品)綺麗です。(京表具の手打ち表装)

●文化勲章受章作家にふさわしい上質な金襴裂地が使われた仕立になっております。


●雪中紅梅

●雪中紅梅


●雪中白鷺

●文化勲章受章作家の作品をご堪能頂けましたら幸いです。


●雪中白鷺



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●双幅の内【雪中紅梅図】●絹本(尺五立)左側



●雪中紅梅・白鷺(双幅)を一間床へ二幅並べて飾られます。

●総丈:【幅54.5×高さ208cm】

●【雪中紅梅図】●絹本(尺五立)を一間床へ一幅掛けとしてもお楽しみ頂けます。

●冬掛けとしておすすめです。(1月~3月)

●翠嶂先生は竹内栖鳳に師事して四條派を修め、
京都市立美術工芸学校(京都市立芸術大学の前身)を
卒業後は明治35年から母校で教鞭をとりました。
明治40年に文展(日展の前身、文部省文化展覧会)が始まると
第1回展で三等賞を受賞し、大正5年からは3回連続して特選を受けるなど、
画壇の中心的存在として活躍します。
また、8年には審査員を務め、昭和になると帝国芸術院会員や帝室技芸院に
選出される一方、母校の美術工芸学校の校長にも就任します。
10年に設立した画塾「青甲社」からは堂本印象、中村大三郎、上村松篁ら、
次代を担う俊英をキラ星のごとく輩出するなど、
教育者としての能力にも傑出したものがありました。
栖鳳ゆずりの軽妙洒脱な洗練された作風が特徴で、
師の没後は京都画壇の重鎮として活躍し、
32年には文化勲章を受章しています。

●文化勲章受章作家の作品をご堪能頂けましたら幸いです。


●表装は元裂地を使って仕立直しましたので状態は良好です。(手打表装)美品。

●文化勲章受章作家にふさわしい上質な金襴裂地が使われた仕立になっております。



●【雪中紅梅図】●絹本(尺五立)一間床へ一幅掛けとしてもお楽しみ頂けます。

●冬掛けとしておすすめです。(1月~3月)



●【雪中紅梅図】●絹本(尺五立)一間床へ一幅掛けとしてお楽しみ頂けます。

●総丈:【幅54.5×高さ208cm】一間床へ一幅掛けとしてお楽しみ頂けます。

●冬掛けとしておすすめです。(1月~3月)

●文化勲章受章作家の作品をご堪能頂けましたら幸いです。






●【共箱・二重箱】

●【箱の表面】画題:(白鷺・雪中紅梅)双幅

●桐箱に染み・汚れ等ありますが収納には問題無しです。


●【箱の裏面】落款サイン:翠嶂題印

●【共箱・二重箱】

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