春柳
商品番号:1086

春柳

土田 麦僊
売却済み

作品概要

略歴
土田 麦僊 - つちだ ばくせん
明治20年新潟県佐渡に生まれる。初めは鈴木松年に師事し、後に竹内栖鳳に師事した。京都新古美術品展や絵画共進会で受賞を重ね、明治41年の文展に《罰》で初入選で三等賞を受賞するが、42年には京都市立絵画専門学校の別科に入学した。44年に同校を卒業し、同年の文展で褒状を受ける。以後は文展に《島の女》《海女》《散華》《大原女》などを出品し受賞を重ね、更に村上華岳 榊原紫峰 小野竹喬等と国画創作協会を創立し、その定期展に《湯女》《三人の舞妓》《春》を発表し、12年には後の山南社となる、山南塾を設立し、また代表作となる《舞妓林泉図》《芥子》《大原女》《朝顔》などを国画創作協会に発表したが経営難から、昭和3年に同会を解散し、4年には官展に復帰して《畢粟》《明粧》《平林》などの名作を帝展に発表した。帝国美術院会員。昭和11年没。 享年 50才。
本紙
紙本(尺八横)
サイズ
【本紙】幅47.5×縦41cm
【総丈】幅62.4×縦140cm
軸先
象牙
共箱・二重箱
備考
麦僊先生は最初に鈴木松年に師事し、後に竹内栖鳳についたときに麦僊と号して新古美術展で活躍します。文展(日展の前身、文部省文化展覧会)が始まると明治41年の第2回展で初入選、3等賞を受賞して鮮烈な官展デビューをはたし、翌42年に京都市立絵画専門学校(京都市立芸術大学の前身)が開校すると同門の小野竹喬とともに別科に入学します。同期には村上華岳、榊原紫峰、入江波光、野長瀬晩花など後の京都画壇を担うそうそうたるメンバーがそろっています。また、「黒猫会」「仮面会」などで前衛的な美術をめざした活動を展開しますが、44年に卒業するまでは四條派の伝統をつぐ流麗な筆線による作品を描いています。しかし、大正になると後期印象派の影響を受けた作品「島の女」「海女」や大和絵を取り入れた「大原女」、奈良での仏画模写に学んだ「散華」などを発表して幅広い研究の成果を示します。大正7年には栖鳳を顧問に迎えて竹喬、紫峰、華岳、晩花らと「国画創作協会」を結成し、10年には竹喬と渡欧して2年間西洋絵画を研究します。そして、帰国後は「大原女」「朝顔」などの作品を発表して、画風は明快な構図と平面的な空間表現へと移行します。「国画創作協会」解散後は再び帝展に復帰して審査員をつとめながら作品を発表し、昭和9年には帝国美術院会員に選出されます。

この作品では伝統的な技法や空間表現によりながら、雀の描写に麦僊独自の特徴もうかがえます。また、新芽柳と双雀の表現が、つかの間の穏やかな日ざしを楽しんでいるかのようです。晩年の麦僊先生の目が捉えた日本の早春の美しさをお楽しみください。

春掛けとしてお楽しみ頂けます。
状態
本紙・掛軸共に状態は綺麗です。(美品)

詳細写真

Detail












箱の表面と裏面

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