ARTIST
田能村 直入
【島根・出雲地方にゆかりの南画家】
文化11年豊後国直入郡竹田町に生まれる。本姓は三宮氏、幼名傳太、名は癡、字は顧絶、初号は小虎、別号は忘斎・幽谷斎・布袋庵・花下道人・竹翁居士・青椀・飲茶庵主人・画仙堂等がある。9才の時田能村竹田に入門し、のち養子となる。大阪に出て篠崎小竹・大塩後素に学ぶ。明治の初め京都に移り、画学校設立を建議し、明治13年に京都府画学校設立とともに、その初代校長となる。後、洛東若王子に閑居兼画塾画神堂をつくり、明治24年には富岡鉄斎らと日本南画協会を設立し、京都南画画壇の重鎮として活躍した。出雲地方へは明治11年から12年に来遊し、桜井家・糸原家・吉田田部家・宍道木幡家等の名家に寄留して多くの作品を残し、この地方に南画鑑賞や煎茶趣味など洗練された京文化の多くを伝えた。身体壮健・精力絶倫で全国を遊歴し、その門に学ぶ者数百人に及ぶという。明治40年1月21日死去。享年94才。
| ゆかりの地 | 島根県 |
|---|
