高島 北海 - たかしま ほっかい (1850~1931)
嘉永3年9月長門国(山口県)阿武郡に生まれる。幼名和三郎。のち徳三。父は萩藩医。6、7才の頃から絵を描き始め、明倫館に学び、明治5年から4年間、生野銀山の生野鉱山学校でフランス人技師長からフランス語と地質学、植物学等を学ぶ。以後内務省地理局、農商務省山林局技術官吏として山林調査に従事。フランスに留学して、エミール・ガレと出会う。30年山林局林制課長を最後に公職を辞し、長府に隠棲する。この間、公務の合間、独学自修により山岳を写生、23年から日本美術協会展に出品、28年三等賞銀牌を受賞する。35年51才の時東京に移住、画家として中央画壇での活躍をはじめる。36年渡米、37年セントルイス万博のため再渡米、39年中国を旅行。前後して36年画論「写山要訣」39年画集「北海山水百選」を刊行。美術協会展、博覧会等で受賞、正派同志会結成に幹事として参加、41年第2回文展から審査員をつとめる。大正12年関東大震災を機に長府に帰郷、画作を続け、長門峡など名勝地の開発・紹介につとめた。昭和5年上京して子息のもとに身を寄せ、翌昭和6年1月10日東京品川区で没。享年80才。
高島 北海の他作品を見る