
●本紙・表装共に経年のヤケ・薄い点染み
軽い折れ等ありますが鑑賞には気にならない程度。
軽い折れ等ありますが鑑賞には気にならない程度。

●本紙・表装共に経年のヤケ・薄い点染み
軽い折れ等ありますが鑑賞には気にならない程度。
軽い折れ等ありますが鑑賞には気にならない程度。

●本紙・表装共に経年のヤケ・薄い点染み
軽い折れ等ありますが鑑賞には気にならない程度。
軽い折れ等ありますが鑑賞には気にならない程度。



●軽い立線の折れ等ありますが鑑賞には気にならない程度です。

●軽い立線の折れ等ありますが鑑賞には気にならない程度です。

●地にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。

●地にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。

●表装裏面上部の上巻(巻絹)にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には問題無い箇所です。

●表装裏面上部と下部に点染み汚れ等ありますが鑑賞には問題無い箇所です。

●表装裏面下部に点染み汚れ等ありますが鑑賞には問題無い箇所です。

●【共箱】

●【箱の表面】画題:先師春挙一徹居士筆秋草図

●【箱の裏面】落款サイン:曼舟謹識印
●鑑定人:門下生:川村曼舟・【早苗会の四天王】
川村 曼舟 (かわむら まんしゅう)
明治13年7月9日京都市に生まれる。
明治31年山元春挙の門下となり、
明治35年新古美術品展「薩摩潟」を出品して3等賞を受けた。
明治41年第2回文展で「黄昏」が
3等賞を受賞、以後同展に毎年出品して入賞を続け、
大正5年に「竹生島」、6年には「日本三景」で特選となり、
大正8年第1回帝展には橋本関雪・西山翆璋とともに審査員となった。
大正11年京都市絵画専門学校教授に就任、昭和11年には同校校長となった。
小村大雲・庄田鶴友・服部春陽とともに春挙門の四天王と言われ、
師亡き後は早苗会を主宰した。昭和17年11月7日京都市で死去。享年62才。