竹田 霞村 - たけだ かそん (1884~1955)
本名は豊太郎、号は霞村・水鶏舎・悦々・大愚と称した。明治17年3月3日、元高松村村長竹田門太郎の長男として、現出雲市下横町に生まれる。 幼少より画才に恵まれ、すでに杵築中学校(現大社高等学校)在学中より逸材として評価されていた。明治37年4月、東京美術学校日本画科に入学。下村観山に学ぶ。在学中、(明治40年頃)の校内水彩画展では「黄昏」を出品し第一席となった。卒業後も、川端玉章・下村観山に師事したが、会派には属することなく画業に専念した。ところが、当時の新旧各派の争いに嫌気がさしていた霞村は、たまたま父の病を機に大正5年10月に帰郷。その後は中央展に一度も出品することなく、故郷で独自の画業に励んだ。霞村の作品には、大観・観山らが興した朦朧体とよばれる没骨法を用いたものから、さらに雲谷派・土佐派・狩野派・四条円山派等あらゆる日本の古典画からの影響が強く感じられる。わけて、四条派と琳派の画風に傾注し、装飾体の花鳥画を得意としている。昭和30年11月18日没。享年72才。
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