横山 雲南(黄仲祥) - よこやま うんなん (1814~1880)
別号:黄仲祥。仁多郡布勢村横山宗甫の第二子で、文化10年(1813年)三刀屋に生まれる。父の宗甫は京で医術を学び三刀屋に開業した。三子あり、長子は早世、次子が雲南、末子元湛が医業を継いだ。雲南は通称祥介、竈山・奇巌・石痴道人・黄仲祥・雲南等の号がある。初め堀江友声に絵を習い、後高積寺風外禅師が出雲に来遊したとき、指導を受けて感銘し、四条派の風をすて南宋画家となった。天保9年26歳の時上洛して、貫名海屋の門に入る。天保14年出雲に帰り、大社町中島家の養子となり多くの作品を残した。恩師貫名海屋が出雲に来歴したときは旧師の為に尽力した。画技いよいよ熟し、江戸に出ることを決意、江戸の豪商佐野長四郎澹如の厚遇をうけ、椿 椿山・渡辺小華・山本琴谷・福田半香・藤堂凌雲と交遊する。特に松岡環翠・福田鳴鵞とは親交が深かった。又、京へ上り、中西耕石・谷口靄山・広瀬旭荘・田能村小虎・日根対山・中林竹渓等に互して活躍した。明治13年東京順天病院で病没、享年68才。
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