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一葦達磨(いちいだるま)(橋本 雅邦 作)

商品番号3847
価格

売却済

商品名一葦達磨(いちいだるま)
作者橋本 雅邦
略歴橋本雅邦 はしもとがほう (1835-1908)
天保6年7月江戸木挽町に生まれる。幼名千太郎。のち長卿。父は浜田藩主(のち川越藩主)松平周防守の御用絵師で狩野派の画家橋本晴園。父に手ほどきを受け、狩野雅信に師事、狩野芳崖も同日入門する。22才頃塾頭となり、芳崖、狩野勝玉、木村立獄とともに雅信門下の四天王と称される。26才で独立するが幕末混乱期絵の注文も減り、扇面画などの内職で家族を養う。維新後録を失い、海軍省で地図描きをするかたわら芳崖とともに研鑽を積み、絵画共進会などで賞を取る。やがてフエノロサや岡倉天心に認められ、各展で受賞、絵事に専念、22年開校した東京美術学校教諭(のち教授)となる。23年臺会内国勧業博覧会で審査員として「白雲紅樹」(重文)を出品妙技一等賞を受賞。同年帝室技芸員となり、以後明治日本画壇の中心にあって近代日本を代表する画家として活躍、大観・春草・観山・玉堂ら錚々たる画家を輩出する。31年東京美術学校校長を辞職させられた天心に殉じて同校を連袂辞職、日本美術院の創立に参加、主幹となる。33年パリ万博に「竜虎図」で銀賞、37年セントルイス万博に「林澗残照」などで再興名誉賞を受賞する。明治41年1月13日東京本郷で没。享年72才。

⭐箱書き鑑定人
小村 大雲 (おむら たいうん)
明治16年11月9日(1883年)島根県平田市に生れる。名は権三郎、字は厳座、子荘と称した。別号は豊文・碧雲湖畔人・赤松子・豊瑞・豊花等有り。京都に出て都路華香に師事したのち、山元春挙の画塾早苗会に入門し画法を学ぶ。文展・帝展で受賞を重ね活躍する。昭和13年2月20日(1938)歿。享年56才。

🌞【添書】
高階 瓏仙(たかしな ろうせん)
明治9年12月15日生まれ。日本の仏教学者、僧侶。曹洞宗大学(現駒澤大学)教授。總持寺独住第12世貫首、永平寺第71世貫首、曹洞宗第18代管長[1]、全日本仏教会長を歴任。道号は玉堂。
昭和43年(1968)没、90才。




本紙絹本(尺五立)
寸法本紙:幅41×高さ110.5cm
総丈:幅55×高さ215cm
軸先象牙
鑑定箱・二重箱【鑑定箱書きは小村大雲先生・添書は高階瓏仙禅師】
備考🔶年中掛けとしてお使い頂けます。

曹洞宗永平七十一世瓏仙題

🌞【添書】
高階 瓏仙(たかしな ろうせん)
明治9年12月15日生まれ。日本の仏教学者、僧侶。曹洞宗大学(現駒澤大学)教授。總持寺独住第12世貫首、永平寺第71世貫首、曹洞宗第18代管長[1]、全日本仏教会長を歴任。道号は玉堂。昭和43年(1968)没、90才。

⭐箱書き鑑定人
小村 大雲 (おむら たいうん)
明治16年11月9日(1883年)島根県平田市に生れる。名は権三郎、字は厳座、子荘と称した。別号は豊文・碧雲湖畔人・赤松子・豊瑞・豊花等有り。京都に出て都路華香に師事したのち、山元春挙の画塾早苗会に入門し画法を学ぶ。文展・帝展で受賞を重ね活躍する。昭和13年2月20日(1938)歿。享年56才。



状態





  • 絹本(尺五立)

    総丈:【幅55×高さ215cm】

    🔶年中掛けとしてお使い頂けます。

    ⭐【添書】そえがき

    🔶曹洞宗永平七十一世瓏仙題印印

    随處現形
    法恩令身

    🌞添書(そえがき)は永平寺の第七十一世貫首頃の昭和16年以降に添書されたたもので一葦達磨を描かれた時とは約50年のズレがあります。

    雅邦先生の一葦達磨は証(領収書)から明治28年4月頃に描かれたものです。




  • 🔶画格に釣り合った上質な金襴裂地が使われた仕立になっております。




  • 絹本(尺五立)

    総丈:【幅55×高さ215cm】

    🔶年中掛けとしてお使い頂けます。

    ⭐【添書】そえがき

    🔶曹洞宗永平七十一世瓏仙題印印

    随處現形
    法恩令身

    🌞添書(そえがき)は永平寺の第七十一世貫首頃の昭和16年以降に添書されたたもので一葦達磨を描かれた時とは約50年のズレがあります。

    雅邦先生の一葦達磨は証(領収書)から明治28年4月頃に描かれたものです。




  • 🔶曹洞宗 永平七十一世瓏仙題印印

    随處現形
    法恩令身

    🌞【添書】そえがきは永平寺の第七十一世貫首頃の昭和16年以降に
    添書されたたもので一葦達磨とは約50年のズレがあります。

    🌟高階 瓏仙(たかしな ろうせん)
    明治9年12月15日生まれ。日本の仏教学者、僧侶。
    曹洞宗大学(現駒澤大学)教授。總持寺独住第12世貫首、
    永平寺第71世貫首、曹洞宗第18代管長[1]、全日本仏教会長を歴任。
    道号は玉堂。昭和43年(1968)没、90才。

    ⭐昭和16(1941年6月)、
    大本山總持寺の独住第十二世貫首(かんしゅ・大本山の住職)に、
    7月には、大本山永平寺の第七十一世貫首に昇任され、
    曹洞宗の両大本山の住職・禅師様。






  • 🔶曹洞宗 永平七十一世瓏仙題印印




  • ⭐一葦達磨図は雅邦先生60歳頃の作です。




  • ⭐一葦達磨図は雅邦先生60歳頃の作です。




  • ⭐一葦達磨図は雅邦先生60歳頃の作です。

    雅邦先生の一葦達磨(いちいだるま)は証(領収書)から明治28年4月頃に描かれたものです。




  • ⭐一葦達磨図は雅邦先生60歳頃の作です。




  • ⭐一葦達磨図は雅邦先生60歳頃の作です。




  • ⭐一葦達磨図は雅邦先生60歳頃の作です。




  • ⭐一葦達磨図は雅邦先生60歳頃の作です。






  • ⭐左側軸棒に点染み等ありますが鑑賞には気にならない程度です。




  • 【鑑定箱・二重箱】

    【小村大雲鑑定箱書き付】




  • 【箱の表面】




  • ⭐箱書き鑑定人
    小村大雲 (おむら たいうん)

    箱の【箱の裏面】橋本雅邦翁真筆無疑者也 小村大雲山人観印印
    🔸【無疑】とは疑問の余地がないこと。






  • ⭐証   
    一金六円 芦達磨画料
    右受納也
    四月十五日 橋本雅邦印
    ○○○郎様

    宛名島根県松江市殿町




  • ⭐証   
    一金六円 芦達磨画料
    右受納也
    四月十五日 橋本雅邦印
    ○○○郎様

    宛名島根県松江市殿町郵便印が明治廿八年四月となっております。


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一葦達磨(いちいだるま)
橋本 雅邦
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