【掛軸の古美術高美堂 掛軸販売・日本画専門店】

掛軸販売(掛軸販売)・骨董・古美術・絵画・日本画・書画・色紙のネット販売・通販古美術・骨董の肉筆掛け軸を真作(本物)保証で販売しております

クリック→ お電話で、この商品についてのご質問・ご相談・ご注文承ります。 ←クリック

阿新丸(くまわかまる)(菊池 容斎 作)

商品番号2464
価格

売却済

商品名阿新丸(くまわかまる)
作者菊池 容斎
略歴菊池容斎(きくち ようさい)
天明8年(1788年11月28日)江戸下谷長者町に生れる。
旧姓は河原。本名は量平または武18歳のとき高田円乗の門に入って狩野(かのう)派を学び、のち土佐派を習い、さらに狩野探幽(たんゆう)、円山(まるやま)応挙の画風を私淑する。幕末から明治時代初期にかけての日本画家。明治11年6月16日没。91歳。
本紙絹本(尺八立)大幅
寸法本紙:幅50×高さ107cm
総丈:幅64×⾼さ208cm
軸先象牙
合せ箱
備考↑年中掛けとしてお楽しみ頂けます。


日野邦光(ひのくにみつ)は、南北朝時代の公卿。
藤原北家真夏流日野家、権中納言・日野資朝の子。
官位は従三位・権中納言(南朝)、贈正三位。
南朝に仕えた。幼名を阿新丸(くまわかまる)といい、
『太平記』巻2「阿新殿事」に見える敵討の逸話によって古来著名である。


日野邦光(ひのくにみつ)の幼少期の名は【阿新丸】(くまわかまる) 
1320‐1363
鎌倉時代末の公家日野資朝の子。資朝は後醍醐天皇の討幕計画に参加したが,
事が漏れて捕らえられ,佐渡に流された。13歳の阿新は従者1人をつれて
佐渡に渡り,守護本間入道に父子の対面を願ったが許されず,
父は殺されてしまった。復讐の機をねらう阿新は,
ある夜本間の寝所に忍び込んだが,入道は不在で果たせず,
父を斬った本間三郎を殺して巧みに逃げ,
山伏に助けられて都に帰った話が太平記にくわしく記されている。
その後阿新は邦光と名のって南朝の忠臣となり,中納言に任ぜられた。
小林古径作・日本画・阿新丸が有名なり。

状態本紙・表装共に良好です。

掛軸の裏面上部にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には問題ない個所です。





  • 本紙・表装共に良好です。

    表装は画格にふさわしい上質な金襴裂地が使われており状態も良好です。




  • 本紙・表装共に良好です。

    表装は画格にふさわしい上質な金襴裂地が使われており状態も良好です。




  • 日野邦光(ひのくにみつ)の幼少期の名は【阿新丸】(くまわかまる) 
    1320‐1363
    鎌倉時代末の公家日野資朝の子。資朝は後醍醐天皇の討幕計画に参加したが,
    事が漏れて捕らえられ,佐渡に流された。13歳の阿新は従者1人をつれて
    佐渡に渡り,守護本間入道に父子の対面を願ったが許されず,
    父は殺されてしまった。復讐の機をねらう阿新は,
    ある夜本間の寝所に忍び込んだが,入道は不在で果たせず,
    父を斬った本間三郎を殺して巧みに逃げ,山伏に助けられて都に帰った話が
    太平記にくわしく記されている。その後阿新は邦光と名のって南朝の
    忠臣となり,中納言に任ぜられた。小林古径作・日本画・阿新丸が有名なり。






  • 13歳の阿新(くまわか)は仇討後、一策を練って老竹に登り竹は運よく濠(ほり)外にたわみ
    濠(ほり)を越える事ができ、山伏に命を助けられ、恙なく(つつがなく)京都に帰ることを得た。




  • 13歳の阿新(くまわか)は仇討後、一策を練って老竹に登り竹は運よく濠(ほり)外にたわみ
    濠(ほり)を越える事ができ、山伏に命を助けられ、恙なく(つつがなく)京都に帰ることを得た。






  • 日野邦光(ひのくにみつ)の幼少期の名は【阿新丸】(くまわかまる) 




  • 日野邦光(ひのくにみつ)の幼少期の名は【阿新丸】(くまわかまる) 












  • 掛軸の裏面上部にヤケ・点染み等ありますが鑑賞には問題ない個所です。




  • 合せ箱


古美術品・掛軸・絵画等(電話/FAX/メール)での御注文、お問い合わせはこちらまで
電話:0853-22-2109    FAX:0853-31-8007 (FAX申し込み用紙印刷)
メール info@koubidou.com か商品購入、商品ご注文フォームよりお願致します

阿新丸(くまわかまる)
菊池 容斎
ページトップへ