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老松孔雀(野々内 保太郎 作)

商品番号2644
価格

売却済

商品名老松孔雀
作者野々内 保太郎
略歴野々内 保太郎(ののうち やすたろう)
明治35年、八束郡出雲郷村(現東出雲町大字出雲郷)に、農業を営む野々内豊太郎の二男として生まれる。本名安太郎。堀江有声・国井応陽・小村大雲らに学んだ後、昭和5年京都市立絵画専門学校(現、京都市立芸術大学)に入学し、中村大三郎に師事した。在学中の昭和7年、第13回帝展に初入選し、号の祥雲を保太郎に改める。大三郎没後は西山翠嶂に師事、昭和33年西山翠嶂が没すると、同志と牧人社を結成し、西山英雄に師事した。花鳥画を得意とし、文展・日展において入選を重ねた。戦後日展に厚塗りの大作を発表する一方、細密描写による軸装の、色鮮やかな花鳥画を数多く制作した。昭和60年老衰のため京都市にて没。享年83才。その子に、同じ日本画家の野々内良樹・井上稔・野々内宏がいる。
本紙絹本(尺八幅立)
寸法本紙:幅50×高さ137cm
総丈:幅65×高さ197cm
軸先
合せ箱・タトウ箱付
備考保太郎先生は国井応陽・小村大雲らに学んだ後、昭和7年に京都市立絵画専門学校(京都市立芸術大学の前身)に入学し、卒業後は中村大三郎塾に入門して研鑽を積みました。第13回帝展(日展の前身、帝國美術院美術展覧会)で「みやまの春」が初入選した時に祥雲の雅号を保太郎と改め、その後、改組帝展、新文展を通じて受賞を重ねます。戦後師が没して後は西山翠嶂の画塾「青甲社」に席を置いて日展でも受賞を重ね、晩年には日展の会友としても活躍しました。子息の野々内良樹、宏、井上稔の3氏とも日本画家として活躍する芸術家の家系です。

この作品は花鳥画を終生描き続けた保太郎先生が、新進気鋭の青年期に製作されたもので、落款も初号の祥雲となっています。絹本地に孔雀が淡彩で繊細に描かれています。

初号・祥雲は大正9年(18才)に師・国井応陽が与えた号で保太郎に改めたのが昭和7年(31才)。

野々内保太郎先生の初号:祥雲  23才頃の作

年中掛けとしてお楽しみ頂けます。
状態表装は新たに仕立て替えましたので良好です。
(新調表装済)美品です。





  • |←----(軸先除く) 掛軸幅 65cm ----→|

    (尺八立)総丈:幅65×高さ197cm


    ※この掛軸のサイズは一間床におすすめです。




  • 掛軸は新たに仕立て替えましたので本紙・表装共に良好です。
    (新調表装済)美品




  • この作品は花鳥画を終生描き続けた保太郎先生が、
    新進気鋭の青年期に製作されたもので、落款も初号の祥雲となっています。
    絹本地に孔雀が淡彩で繊細に描かれています。




  • この孔雀図は花鳥画を終生描き続けた保太郎先生が、
    新進気鋭の青年期に製作されたもので、落款も初号の祥雲となっています。

    初号・祥雲は大正9年(18才)に師・国井応陽が与えた号で
    保太郎に改めたのが昭和7年(31才)。

    野々内保太郎先生の初号:祥雲 23才頃の作




  • この孔雀図は花鳥画を終生描き続けた保太郎先生が、
    新進気鋭の青年期に製作されたもので、落款も初号の祥雲となっています。

    初号・祥雲は大正9年(18才)に師・国井応陽が与えた号で
    保太郎に改めたのが昭和7年(31才)。

    野々内保太郎先生の初号:祥雲 23才頃の作














  • 牡丹の花弁に絵具の剥落等ありますが鑑賞には気にならない程度です。




  • この作品は初号の祥雲と記された24歳頃の作です。

    絹本地に孔雀が淡彩で繊細に描かれています。

    この孔雀図は花鳥画を終生描き続けた保太郎先生が、
    新進気鋭の青年期に製作されたもので、落款も初号の祥雲となっています。




  • 合せ箱

    掛軸は新たに仕立て替えましたので本紙・表装共に良好です。
    (新調表装済)美品


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