【古美術高美堂 掛軸・日本画専門店】 掛け軸(掛軸)・骨董・古美術・絵画・日本画・書画・色紙のネット販売
・・・古美術・骨董の肉筆掛軸を真作(本物)保証で販売しております・・・有名作家


 
有名作家 作品集
 



下へ  − 明治・大正・昭和の巨匠 −   下へ


 ★商品説明の見方    ※商品画像をクリックすると詳細が確認できます。 

 

 

-----武者小路 実篤作品集-----

武者小路 実篤/實篤 (むしゃのこうじ さねあつ)
明治18年東京麹町区元園町の子爵武者小路家の子として生まれ、学習院を経て、明治39年に東京大学社会学科に入学するが、翌年に中退。初めは叔父の影響でトルストイに傾倒するが、やがて脱し明治43年に志賀直哉らと雑誌『白樺』を創刊。小説『お目出たき人』『世間知らず』評論『生長』などを発表。大正7年には宮崎県の山中に『新しき村』を設立し共生農園の実践に転身。またこの間『友情』『幸福者』自伝小説『或る男』などを発表。『白樺』の廃刊後は、長与善郎らと『不二』を創刊し、更に『大調和』『『独立人』『重光』などの雑誌を次々と創刊した。昭和期には二宮尊徳などの伝記を執筆しながら画に親しんだ。また兄の勧めで欧州を歴遊し、以後は『湖畔の画商』『美術論集』などの美術関係の書物を著わした。戦後は戦犯として公職追放にあうが、後に『真理先生』『私の貝殻』『一人の男』などを発表した。また晩年にも執筆活動と画作を続け、その挫折を知らぬ明るさは多くの共感を呼んだ。昭和51年没。享年 92才。

商品番号 O-003
三者皆美(額・8号)
武者小路実篤作
65,000円


商品番号 O-048
野菜 (額・色紙)
武者小路実篤作
45,000円


 

商品番号 O-070
人形 (8号)
武者小路実篤作
100,000円


商品番号 A-076
貝のある風景
武者小路實篤作
48,000円


 

 

-----今尾 景年作品集-----

今尾 景年 (いまお けいねん) 1845−1924
弘化2年8月12日京都に生まれる。幼名猪三郎。名は永勤、字は予裕。別に養素斎、聯自楽居と称した。はじめ浮世絵師梅川東挙に学び、後に鈴木百年に学んだ。諸家の画法を研究して花鳥画を得意とし、明治13年京都府画学校に出仕、明治28年第4回内国勧業博覧会で「耶馬渓」が2等賞となり、画壇にデビューした。明治40年文展開催とともに審査員となり、大正8年帝国美術院会員となった。京都写生派の代表的画家で、門下に木島桜谷、上田萬秋らがいる。大正13年10月5日没。享年80才。

商品番号 E-020
班鳩散楓
今尾景年作
65,000円

商品番号 M-010
薮柑子小禽
今尾景年作
29,000円

商品番号 A-056
月夜群鶉
今尾景年作
55,000円

 


 

-----小野 竹喬作品集-----

小野 竹喬 (おの ちくきょう)
明治22年岡山県笠岡に生れる。長兄は小野朱竹。竹内栖鳳に師事して、明治40年の第1回文展に《山家の春》で入選し、42年には新設された京都市立絵画専門学校別科に入学。44年に卒業。新古美術品展で入賞を重ねる。文展や新古美術品展に入選して、以後も両展に入選を重ねるが、大正5年の第10回文展に《島二作 早春 冬の丘》で特選を受賞。大正7年には国画創作協会を創立し、昭和3年その第7回展に《冬日帖》で新境地を切り開くが、同協会の経営不振により解散。官展に復帰し帝展推薦となり、以後この帝展や文展招待展や新文展に出品し、審査員を重ねた。戦後は日展を舞台に、自然を題材にして情感溢れた風景を形象した作品を出品、また日展参事や常務理事等を歴任した。笠岡市名誉市民 京都市名誉市民 文化功労者 文化勲章を受章。昭和54年没。享年 91才。

商品番号 F-055
海上晴風
小野竹喬作
270,000円

商品番号 A-036
清涼
小野竹喬作
280,000円

 

 

-----児玉 希望作品集-----

児玉 希望 (こだま きぼう)
明治31年7月広島県に生まれる。本名省三。大正6年画家を志して上京。油絵を独学し、翌大正7年川合玉堂に入門する。大正10年第3回帝展に「夏の山」が初入選し、昭和3年第9回帝展に「盛秋」、昭和5年第11回帝展に「募春」が特選となり、昭和6年第12回帝展に「飛泉淙々」を推薦出品した。 昭和7年以降文・帝展審査員をつとめ、戦時中は日本美術・工芸統制会理事長。戦後は日展常務理事となる一方、昭和25年伊藤深水の画塾と自らの画塾国風会とを発展的に解消し、日月社を結成、毎年同社展を催す。昭和27年第8回日展出品の「室内」で日本芸術院賞を受賞、昭和34年日本芸術院会員となる。また、昭和32年渡欧し、翌年の滞欧記念展に「仏蘭西山水絵巻」などを発表した。代表作に「枯野」「忠貞双絶」「踊」などがある。昭和46年5月2日東京都港区の慈恵医大病院で脳血栓のため死去。享年73才。

商品番号 R-037
青山雨後
児玉希望作
95
,000円

商品番号 D-102
叭々鳥
児玉希望作
260,000円


商品番号 F-102
山寂々
児玉希望作
120,000円

 

商品番号 B-092
笹に鶯
児玉希望作
売却済み


商品番号 F-034
斜陽
児玉希望作
売却済み

 

 

-----池上 秀畝作品集-----

池上 秀畝 (いけがみ しゅうほ)  1874−1944
明治7年10月長野県に、四条派の画家池上秀華の子として生まれる。本名国三郎。荒木寛畝に入門して南北合派を学び、山水花鳥画を得意とする。明治41年、第2回文展に初入選し、以後受賞を重ね、大正5年の第10回文展から連続3年特選となる。 しかし、文展の審査に旧派の立場から不満を抱き、大正7年、同志と新結社を発表した。この動きは再興日本美術院、国画創作協会の文展離脱と相まって、大正8年帝国美術院が創設され、文展から帝展へとかわる。昭和19年5月没。享年69才。  

商品番号 A-035
早春
池上秀畝作
270,000円

商品番号 C-073
梧桐小禽

池上秀畝作
95,000円


 

 

-----山口 華楊作品集-----

山口 華楊  (やまぐち かよう)  1899−1984
明治32年10月京都市に生まれる。本名米次郎。兄は日本画家山口玲X。45年西村五雲に師事、大正5年師の勧めで京都市立絵画専門学校別科に入学、8年卒業研究科に進級10年修了する。在学中の5年第10回文展に「日午」で初入選、7年にも入選。8年、師の勧めで竹内栖鳳の竹杖会に参加する。帝展に大正9年第2回から連続入選、昭和2年第8回帝展に「鹿」、3年9回展に「猿」で連続して特選、4年帝展推薦となり以後帝展に出品を続ける。11年画壇の革新を目指す中堅日本画家による水明会の結成に参加、13年五雲の死去で晨鳥社は解散するが、新晨鳥社を結成する。11年絵画専門学校助教授のち教授となり24年まで後進の指導に当たる。また、九名会、春虹会の発足に参加する。戦後は21年秋の第2回日展から審査員をつとめ、出品を続ける。24年日展運営会参事、25年参与、33年評議員、44年理事、47年常務理事、50年顧問となる。 31年日本芸術院賞、46年日本芸術院会員、56年文化勲章を受章する。 四条派の伝統をふまえ、特に動物画の第一人者として活躍した。昭和59年3月16日京都市で没。享年84才。

商品番号 R-051
紅梅仔犬
山口華楊作
売却済み


商品番号 C-076
桃花小禽
山口華楊作
470,000円


 

 

-----川合 玉堂作品集-----

川合 玉堂 (かわい ぎょくどう)  1873−1957
明治6年11月愛知県木曽川町に生まれる。本名芳三郎。別号寓庵。明治20年京都に出て、望月玉泉に入門し玉舟と号す。明治23年幸野楳嶺塾に入り、号を「玉堂」と改めて、第3回内国勧業博覧会に出品褒状を受ける。その後、日本青年絵画協会、日本美術協会など各展に出品し受賞を重ねる。明治28年の第4回内国勧業博覧会に出品された橋本雅邦の「竜虎図」に感動し、上京して雅邦門に入る。明治40年開設の文展には第1回から12回まで審査員をつとめる。大正4年から昭和11年まで東京美術学校教授。大正6年帝室技芸員、大正8年帝国美術院会員、昭和12年には帝国芸術院会員となり、昭和15年に文化勲章を受章した。一方大正13年、小堀鞆音・下村観山・山元春挙・竹内栖鳳・横山大観らと淡交会を結成し、その私塾、長流画塾で多くの門人を育てた。四条派・狩野派を融合させた独自の穏健な風景画を確立したが、また歌人としても有名で歌集も刊行している。昭和32年6月30日、東京青梅市の自宅で蔵喘息のため死去。享年83才。昭和36年御岳渓谷に玉堂美術館が開設された。
商品番号 F-085
豊年
川合玉堂作
売却済み

商品番号 B-086
渓山帰漁
川合玉堂作
230,000


 

商品番号 F-088
春溪田家
川合玉堂作
売却済み


商品番号 R-010
朝涼
川合玉堂作
売却済み

 

-----土田 麦僊作品集-----

土田 麦僊 (つちだ ばくせん)
明治20年新潟県佐渡に生まれる。初めは鈴木松年に師事し、後に竹内栖鳳に師事した。京都新古美術品展や絵画共進会で受賞を重ね、明治41年の文展に《罰》で初入選で三等賞を受賞するが、42年には京都市立絵画専門学校の別科に入学した。44年に同校を卒業し、同年の文展で褒状を受ける。以後は文展に《島の女》《海女》《散華》《大原女》などを出品し受賞を重ね、更に村上華岳 榊原紫峰 小野竹喬等と国画創作協会を創立し、その定期展に《湯女》《三人の舞妓》《春》を発表し、12年には後の山南社となる、山南塾を設立し、また代表作となる《舞妓林泉図》《芥子》《大原女》《朝顔》などを国画創作協会に発表したが経営難から、昭和3年に同会を解散し、4年には官展に復帰して《畢粟》《明粧》《平林》などの名作を帝展に発表した。帝国美術院会員。昭和11年没。 享年 50才。

商品番号 A-067
春柳
土田麦僊作
460,000円


商品番号 D-027
墨竹
土田麦僊作
270,000円

商品番号 A-001
飛燕
土田麦僊作
340,000円

 

 

-----金島 桂華作品集-----

金島 桂華 (かなしま けいか)
明治25年広島県に生まれる。本名・政太。はじめ西家桂州に師事し、桂州の死去により平井直水に師事する。43年巽画会第10回展に「花芭蕉」で一等褒状を受け、画家になることを志し、44年竹内栖鳳の竹丈会画塾に入塾する。大正7年第12回分展に「叢」で初入選、以後帝展に入選を重ね、大正14年、昭和2年、昭和3年と三度特選となる。4年帝展推薦、9年審査員、11年文展招待出品。画塾衣笠会を主宰。5年京都市立美術工芸学校教授、戦後は25年日展運営会参事、28年芸能選奨文部大臣賞、日本芸術院賞、35年日展理事、44年京都市文化功労者となる。昭和49年京都市で没。享年82才。
商品番号 B-021
干柿
金島桂華作
85,000

商品番号 R-041
花菖蒲
金島桂華作
売却済み


商品番号 C-010
早春
金島桂華作
180,000円


 

 

 

-----松林 桂月作品集-----

松林 桂月 (まつばやし けいげつ)
明治9年山口県萩市に生まれる。本姓伊藤。名は篤。 野口幽谷に入門し、南宋画を学ぶ。明治31年幽谷が没し、自らも肺結核のためやむなく帰郷。明治34年健康回復後に再度上京し、同門の閨秀画家松林雪貞と結婚、入婿して松林姓を名乗る。日本美術協会展に出品。明治40年第1回文展には、反文展の正派同志会に加わり不出品。翌年第2回文展からは出品を続け、第5回展「秋山晩晴」第6回展「寒汀」第7回展「松林仙閣」第8回展「秋声」が連続3等賞。 日本南宋画会、日本画会などを育成。帝展の審査員をもたびたびつとめる。 昭和7年帝国美術院会員、昭和19年帝室技芸員となり、昭和33年文化勲章を受章。昭和45年には日本南画院を結成。山水花鳥画の秀作を残す。昭和38年没。享年87才。

商品番号 A-050
瀑布図
松林桂月作
売却済み

商品番号 A-049
柳小禽
松林桂月作
65,000円


 

商品番号 F-009
江上泛舟
松林桂月

220,000円


商品番号 E-013
水墨山水
松林桂月作
58,000円


 

 

-----山元 春挙作品集-----

山元 春挙 (やまもと しゅんきょ)
明治4年滋賀県大津市に生れる。本名金右衛門。別号円融斎、一徹居士。森 寛斎の門に入る。やがて寛斎塾の代表作家となり、竹内栖鳳、菊池芳文とならび称され、京都画壇の中心的存在となった。寛斎没(明治27年)後は如雲社を改組して栖鳳、芳文らと後素協会を結成し、文展開催(明治40年)と同時に審査員となり、大正6年帝室技芸員、同8年帝国美術院会員となった。京都市立専門学校教授として、また早苗塾の主宰者として川村曼舟、小村大雲ら多くの後進を育成した。昭和8年歿。享年61才。

商品番号 B-064
富嶽
山元春挙作
95,000

商品番号 B-101
水郷雨後
山元春挙作
140,000
商品番号 B-031
稚松之図
山元春挙作
45,000円


 

商品番号 R-007
雨後新霽
山元春挙作
120,000円


商品番号 R-012
水郷之夏
山元春挙作
87,000円

商品番号 D-043
笹に留里鳥
山元春挙作
53,000円

 

商品番号 D-086
雪渓挙登
山元春挙作
140,000円

商品番号 R-088
林間富嶽
山元春挙作
85,000円

商品番号 B-046
寒山帰烏
山元春挙作
120,000


 

商品番号 E-004
由ふ可ほ
山元春挙作
売却済み

商品番号 B-077
蓬莱仙境
山元春挙作
売却済み

商品番号 A-005
秋の山
山元春挙作
68,000円


 

商品番号 R-017
香魚
山元春挙作
67,000円


商品番号 B-010
旭日若松
山元春挙作
94,000


ページのトップに戻る

 

 

-----竹内 栖鳳作品集-----

竹内栖鳳 たけうち せいほう (1864−1942)
元治元年11月京都御池通油小路に生まれる。本名恒吉。 生家は料亭で、父は栖鳳に家業を継がせようとしたが、姉が家業を継ぐ決意で父を説得し、栖鳳の画道精進が始まる。 はじめ土田英林に師事したが、明治14年四条派の幸野楳嶺の画塾に入門、棲鳳の雅号を受ける。 翌15年に第1回内国絵画共進会で「雁に双鶴」「瀑布」が入選。17年第2回内国絵画共進会に「山水」「花鳥」で褒状を受けたのをはじめ、多くの内外博覧会や共進会で受賞して、京都青年画家の花形となった。 明治33年渡欧、西洋の美術を吸収し、翌年帰国して号を栖鳳と改めた。明治40年第1回文展に審査員となり、以後第12回展までその任に当たったが、その間大正2年に帝室技芸員、8年に帝国美術院会員に推挙された。また、明治42年〜大正13年まで京都市立絵画専門学校教授をつとめ、昭和12年第1回文化勲章受章者となったほか、フランス勲章、ハンガリー再興美術賞、ドイツゲーテ名誉賞を受けた。 昭和17年湯河原の別荘で死去。享年78才。

商品番号 F-071
荒園春色

竹内栖鳳作
売却済み

商品番号 F-097

竹内栖鳳作
売却済み

 

商品番号 R-094
春隣
竹内栖鳳作
220,000円


商品番号 C-043
偶作
竹内栖鳳作
95,000円


商品番号 R-095
新筍
竹内栖鳳作
売却済み

 

商品番号 A-025
蟠蛇
竹内栖鳳作
230,000円


商品番号 C-065
野猿
竹内栖鳳作
140,000円


商品番号 D-042
水亭晩霽
竹内栖鳳作
売却済み

 

商品番号 C-008
暁鶏聲
竹内栖鳳作
98,000円

商品番号 C-055
春の夕
竹内栖鳳作
160,000円


商品番号 D-045
寒垢離
竹内栖鳳作
120,000円


 

 

 

-----西山 翠嶂作品集-----

西山 翠嶂 (にしやま すいしょう)  1879−1958
明治12年京都市に生まれる。本名卯三郎。竹内栖鳳に師事明治40年第1回文展で「広寒宮」が3等賞を受賞して以来連年入賞し、大正15年から3年連続して特選となった。大正8年、京市立絵画専門学校教授となっる。昭和4年帝国美術院会員、昭12年帝国芸術院会員、昭和19年帝室技芸員となる。昭和32年文化勲章を受章する。昭和8年から11年まで京都市立絵画専門学校、同美術工芸学校の校長を務めた。昭和33年歿。享年79才。
商品番号 F-007
暁薫
西山翠嶂

120,000円

商品番号 D-044
夏雨
西山翠嶂作
売却済み

 

商品番号 C-079
晝顔
西山翠嶂作
売却済み

商品番号 R-047
新竹
西山翠嶂作
85,000円

 

商品番号 A-066

西山翠嶂作
38,000円


商品番号 D-089
残乃秋
西山翠嶂作
280,000円

 

商品番号 A-048
待春
西山翠嶂作
360,000円

商品番号 D-024
日暖
西山翠嶂作
240,000円


商品番号 B-003
晩 秋
西山 翠嶂作
280,000円

ページのトップに戻る

 

-----西村 五雲作品集-----

西村 五雲 (にしむら ごうん) 
明治10年京都に生まれる。本名源次郎。23年岸竹堂に師事する。26年日本美術協会第6回展で褒状を受け、30年と32年に全国絵画共進会で連続して四等賞を受賞する。 30年に師竹堂が没後、竹内栖鳳に師事する。33年新古美術品展で三等賞、36年には第5回内国勧業博覧会に「残雪飢狐」で褒状、40年第1回文展で三等賞と次々に受賞を重ねる。 明治45年画塾を設け、大正2年京都市立美術工芸学校教諭となる。大正9年帝展委員、13年市立絵画専門学校教授となる。 大正13年画塾を晨鳥社と命名、後進の指導に当たり新進作家を輩出する。 昭和8年帝国美術院会員、9年からは珊瑚会展、春虹会展、七弦会展などにも出品する。 昭和13年京都で没。享年60才。

商品番号 C-089
伏見人形
西村五雲作
67,000円


商品番号 R-096

西村五雲作
87,000円

 

商品番号 B-080
菜花の頃
西村五雲作
75,000

商品番号 R-075
蝙蝠図
西村五雲作
56,000円

 

商品番号 C-048
燕子花
西村五雲作
95,000円


商品番号 B-043
香魚
西村五雲作
95,000


 

商品番号 B-045
古苑双鶴
西村五雲作
120,000

商品番号 F-056
八幡鯉
西村五雲 作
87,000円

商品番号 B-015

西村 五雲作
220,000円

 

商品番号 D-088
酣春
西村五雲作
120,000円


商品番号 A-057
奔馬
西村五雲作
売却済み


商品番号 E-092
春雪
西村五雲

240,000円

 

商品番号 A-042
若鶏
西村五雲作
売却済み

商品番号 D-041
五月霽禮
西村五雲作
売却済み


商品番号 E-071
長春
西村五雲作
95,000円


 

 

-----堂本 印象作品集-----

堂本 印象 (どうもと いんしょう) 
明治24年12月京都市に生まれる。本名三之助。43年京都市立美術工芸学校図案科を卒業、京都西陣の龍村平蔵の工房で図案を手がけるが、大正7年日本画家を志して京都市立絵画専門学校に入学大正10年卒業研究科に進級して13年修了する。大正8年第1回帝展に「深草」で初入選、翌2回展に特選、11年には無鑑査出品、13年からは委員として出品、昭和2年帝展審査員。 絵画専門学校教授、帝室技芸員となる。戦後は日展、京展の審査員、日展参事、常任理事をつとめ、日展・改組日展に出品を続ける。36年文化勲章を受章、文化功労者となる。41年自作を公開する堂元美術館を開館、京都市名誉市民、バチカン近代美術館のために「母と子」を完成、ローマ法王から勲章を受ける。昭和50年京都市で没。享年83才。

商品番号 F-072
深冬白日
堂本印象

売却済み

商品番号 A-102
秋峡
堂本印象作
180,000円


 

商品番号 B-098
雄風
堂本印象作
280,000

商品番号 C-081
清風
堂本印象作
売却済み


 

 

-----橋本 関雪作品集-----

橋本 関雪 (はしもと かんせつ)
明治16年神戸市に生まれる。幼名成常、のち関一。父は儒学者橋本関海。幼少から中国の古典や書画の素養を身につけ、28年四条派の画家片岡公曠に学び。36年竹内栖鳳の竹杖会に入熟、本格的な四条派を学び、41年第2回文展に「鉄嶺城外の宿雪」で初入選、42年から大正元年第6回文展まで連続して褒状を受ける。大正2年はじめて中国を旅行、以後度々中国を訪れる。はじめ中国や日本の故事などを描き晩年に動物画へと移行して数々の名品を遺した。また新南画と呼ばれる画風を究めた。昭和20年京都市で没。享年61才。

商品番号 R-054
高士観泉
橋本関雪作
180,000円

商品番号 F-049
松径帰隠
橋本関雪作
売却済み

商品番号 E-084
山楼満月
橋本関雪作
120,000円


 

商品番号 B-051
放舟
橋本関雪作
87,000円


商品番号 F-033
新涼
橋本関雪作
185,000円


商品番号 D-076
江天清曠
橋本関雪作
180,000円

 

  商品番号 D-074
山水
橋本関雪作
76,000円


商品番号 C-074
枝頭春囀
橋本関雪作
280,000円


商品番号 B-018
雪暁孤鹿
橋本関雪作
220,000円


 

 

 

-----榊原 紫峰作品集-----

榊原 紫峰 (さかきばら しほう) 1887−1971
明治20年8月京都市に生まれる。本名安造。父は日本画家榊原蘆江、兄は榊原佳山、弟は榊原苔山、榊原始更。明治40年京都市立美術工芸学校絵画科を卒業、研究科に進級。2年京都市立絵画専門学校が開設され、二年生に編入、44年同校の一期生として兄佳山とともに卒業、大正2年まで研究科に学ぶ。42年第3回文展に「動物園の猿」で初入選、43年褒状、44年三等賞、大正2年褒状を受けるが翌年落選、翌4年横山大観のすすめで再興第2回院展に陳列される。5年第10回文展でも落選する。 6年第11回文展では入選するが無賞に終る。7年土田麦僊、村上華岳、野永瀬晩花とともに国画創作協会を創立、国展と呼ばれた定期展を開始、東洋画の精神を汲んだ新しい日本画を切り開いた大作・名品を毎回発表するが、昭和3年経営不振から国画創作協会を解散する。同年帝展推薦、12年新文展参与、14年新文展審査員となるが官展不出品を通し、画壇から離れ、母校絵画専門学校教授として後進の指導に専念する。戦後も24年から京都美術大学教授、36年名誉教授となる。37年日本芸術院恩賜賞を受賞。昭和46年1月7日京都市で没。享年83才。



商品番号 A-058
墨竹叭々鳥
榊原紫峰作
85,000円

  商品番号 D-062
柿小禽
榊原紫峰作
260,000円


商品番号 B-041
矢車草
榊原紫峰作
340,000円

 

 

 

-----橋本 明治作品集-----

橋本 明治 (はしもと めいじ)
明治37年8月島根県浜田市に生まれる。大正15年東京美術学校日本画科に入学。昭和4年第10回帝展に「花野」で初入選、5年松岡映丘を顧問とする子木社の結成に会員として参加、6年美術学校を主席で卒業、研究科に進級、映丘に師事する。帝展に入選を重ね、12年第1回新文展に「浄心」翌13年2回展に「夕和雲」で連続特選となる。15年安田靫彦の推薦で法隆寺壁画模写主任として従事する27年芸術選奨文部大臣賞、27年日展審査員、30年日本芸術院賞、44年日展理事、46年日本芸術院会員、47年日展常務理事、49年文化勲章を受章する。55年日展顧問、この間回顧展を各地で開催する。 強い線描による明快な色彩の人物画により独自の絵画様式を確立展開した。平成3年3月25日東京杉並区で没。享年86才。

商品番号 O-033
紅梅 (5号)
橋本明治作
売却済み

商品番号 O-058
カトレヤ (8号)
橋本明治作
145,000円


 

商品番号 O-039
桔梗 (団扇)
橋本明治作
160,000円


商品番号 O-034
婦人 (3号)
橋本明治作
470,000円


 

  商品番号 D-054
初詣 (卯・兔)
橋本明治作
125,000円


商品番号 B-069
芍薬
橋本明治作
750,000円

 

商品番号 O-045
舞妓 (6号)
橋本明治作
280,000円


商品番号 O-090
蘭花 (扇面)
橋本明治作
280,000円


 

商品番号 O-088
花 (扇面)
橋本明治作
160,000円


商品番号 O-087
鶴 (6号)
橋本明治作
470,000円


 

商品番号 O-042
桃 (色紙)
橋本明治作
320,000円


商品番号 O-041
柘榴
橋本明治作
95,000円

 

 

 

-----小松 均作品集-----

小松 均(こまつ ひとし)
明治35年山形県に生まれる。川端画学校に通い岡村癸園に学ぶ。大正13年の第5回中央美術展や、国画創作協会第4回展に夫々初入選し、のち京都に移住し土田麦僊に師事した。昭和元年の国画創作協会で国画賞を受賞し、4年の第10回帝展や、翌5年の第17回院展にも夫々初入選となり、5年の帝展で特選となり、また14年には日本美術院院友となった。戦後は21年第31回院展に《牡丹》で日本美術院賞を受賞して、日本美術院同人となり、また後の院展で文部大臣賞や総理大臣賞等を受賞した。50年には芸術選奨文部大臣賞を受賞。京都市文化功労者 京都府美術工芸功労者 京都市文化特別功労賞 文化功労者。平成元年没。享年 88才。

商品番号 O-074
牡丹 (6号)
小松 均作
350,000円


 
 
有名作家
 

古美術品・掛軸・絵画等(電話/FAX/メール)での御注文、お問い合わせはこちらまで
電話 0853-22-2109   FAX 0853-31-8007 (FAX申し込み用紙印刷)
メール info@koubidou.com か商品購入、商品ご注文フォームよりお願致します

 

 

[古美術 掛軸 専門店]掛軸・ 骨董・古美術・近代絵画・日本画・書画・色紙・置物のネット販売
・・・古美術・骨董の肉筆掛軸を真作(本物)保証で販売しております・・・

※古美術 高美堂は、明治・大正・昭和の骨董・古美術・書画・日本画・掛軸(掛け軸)・
色紙等、物故作家の作品を中心に取り揃えて販売しております。
また傷んだり汚れたり折れたりした掛け軸は、状態によって、洗い・
染抜きをし、仕立て直しも致しております。

※古美術 高美堂では、骨董・古美術・書画・日本画・掛軸(掛け軸)・色紙・絵画等を
お客様に美しく程度の良い状態にて御覧頂けるよう心がけたサービスを行っております。

※お正月の掛軸(旭日静波/他)・御婚礼の掛軸(高砂/双鶴/他)・新築祝の掛軸(蓬莱山/他)
仏事の掛軸(名号/他)・ 年中掛の掛軸 (山水/竹に雀/他) 春の掛軸(梅に鶯/他)・ 夏の掛軸(鯉/朝顔/他)
秋の掛軸(秋草/紅葉/他) ・冬の掛軸(雪景山水/南天/他)の日本画 を常時1,000幅揃えております。
掲載商品以外に沢山掛軸の在庫が有りますのでお気軽にお問い合わせ下さい。

  ※古美術 専門店 高美堂は、お客様に安心してお求め頂く事を
モットーに、明治・大正・昭和の古美術、物故作家肉筆・日本画・掛軸(掛け軸)を十分に
吟味し各種取り揃えて販売しております。

※当店の商品は、真作(本物)保証で販売しております。

※展示商品 新・古美術・骨董・日本画・掛軸(掛け軸)・絵画・色紙・置物の
表示価格はすべて内税で販売致しております。

※主な取扱い商品、新・古美術、書画、骨董、日本画、掛軸(掛け軸)、日本画
扁額・色紙・高岡銅器・香炉・花器・置物・屏風・花台・高卓・他

  ※美術品(新・古美術・骨董・日本画・掛軸)に関するご質問、お問い合わせは、
お電話・メール・FAXにてお気軽に、 ご連絡下さいませ。

古美術品・日本画・掛軸・絵画等のお問合せメールはこちら info@koubidou.com

Copyright(c) 2005-2009 koubidou All right reserved.